人よりも大分痛がりな性質らしい。
人の痛みなんてそう相対化できるものではないと思うが、例えば小指を机の脚にぶつけたとして、妻曰く
「一々アポカリプスがやって来たってくらい破滅的に痛がるよね」
そう何度もアポカリプスがやって来てたまるか。
実際のところは僕も妻も受ける痛みのレベルはあくまで同一なはずで、それを表出するアプローチの差でしかないのではないかと思う。妻が痛みに耐え過ぎなのである。もっとぎゃあぎゃあ喚きながらそこら辺でじたばたしていた方が、苦痛も分散されてよろしいのではないか。
それにしても小指をぶつけたくらいでのたうち回るくらい痛がるのだから、それ以上の痛みを負う日がいつか来るのではないかと思うとゾッとして夜も眠れない。
例えばランニング中に肉離れ、転倒して骨折、もしかしたら、自動車事故に巻き込まれて腕や脚がちょん切れていました、その時、一体僕はどうなるのだろう。小指をぶつけてのたうち回る男が。
小指がちょん切れた、ですら無いぞ。小指を内包する足を内包する脚がちょん切れるんだから。なんかもう、空でも飛ぶんじゃないだろうか。
たまに、ナルトの自来也を思い出す。敵に左腕をもがれたことを口寄せしたガマガエルに指摘されるのだが、自来也は「分かっとります」と一言だけ呟いて、それ以上のリアクションを取らなかった。
当時これを読んでいて、腕をもがれて、分かっとりますだけで次へ進める精神性が「創作」の範疇を超越して信じられなかった。だって、腕だぜ? 袖を破かれたのとはワケが違う。
今思い返せば、ナルトに限らず少年漫画ってよく流血しますね。そりゃ皆生死を賭けた戦いの中にいるから血で血を洗っても当然なのだが、どうしても頭の片隅で「この人らに痛覚って無いのかなあ」と思いながら読んでいたことを思い出した。
皆、敵がどうのこうのより痛いのは怖くないんだろうか。僕はもう、メチャクチャ怖い。
お陰様で今に至るまで死ぬんじゃなかろうかレベルの極端な痛みに襲われたことは無いのだが、一回だけアニサキスに胃をズタズタにされたことがあり、その時は救急車を呼ぼうかどうかという瀬戸際まで追い込まれた。
アニサキス、タラやサバあたりの生魚の腸に潜む白い糸のような寄生虫である。例えば魚の刺身を食べるとして、アニサキスが胃の中に入り込んでも、九割方は特に何の痛みも無い。が、極稀に極端なアレルギー反応が発生する。それを当ててしまったら最後、アニサキスが摘出ないしは排出されるまで悶え苦しむことになる。
父が海釣りを趣味にしていて、その日は釣ったサバを刺身にして食べ、家族四人中僕一人だけが見事に「当選」した。
その時僕は学生で、翌日の試験に向けてノートをまとめていたのだが、深夜を過ぎたあたりから重くのしかかるような胸焼けを覚えた。
食い過ぎたかと思って横になるが、胸焼けは治まらず、そのうち胃が張っては縮み、張っては縮みを繰り返し始める。すわ胃腸炎か。生魚がいけなかったか。そのうち吐き気もこみ上げてきて、トイレで吐いたはいいが胃液しか出てこない。
何だかこれ、聞いたことあるぞ。いつだったか父が言っていた。生魚はよく噛んで食え、そうしないとアニサキスが胃に食いついて、地獄の苦しみを味わうことになる。
地獄の苦しみは遠からずやって来た。胃が針金で絞られるように収縮して激痛が走り、膨張してやや収まる。またしても収縮し、膨張する。厄介なことに痛みには波があって、期待と絶望が交互に繰り返される。
数分おきに「おげええええ」とか「ぎゃおおおお」なんてリビングから聞こえてくるものだから、そのうち家族もうるせえなとか言いながら起きてきて、ミジンコのように丸まりながら日本語ではない何かを呻いている僕を見た父は
「アニサキスだ! アニサキスだ! ギャハハ」
と執拗に煽り立てる。
ギャハハ、じゃないんだよ。ただ、僕が逆の立場だったら確かに指さして笑っていたと思う。中々こう、大の大人が血相を変えて叫ぶ絵面というのは緊迫感よりも滑稽さが先行する。
そのうち夜はしらじら明けてきて、これはもう試験がとか単位とかそういう話ではないのだなと白目を剥きながら考えた。流石に常軌を逸した痛がり方が続き、家族もただ事では無さそうと思ったのか、聞いてきた。
「救急車呼ぶ?」
「分からん!」
「は?」
「救急車なんて呼んだことないから、この痛みが救急車を呼ぶに相当する痛みなのか、分からん!」
なまじ健康に育ってしまったから分からないのである。
こいつ、ただの胃もたれで救急車を呼びやがったと一度でも思われてしまったら恥死にもいいところだが、今思えばそんな痩せ我慢せずに運ばれてしまった方が良かったかもしれない。
せめて胃に膜を張れと温めた牛乳を飲んだら、吐いた。気を紛らわそうとテレビを付けたら海の幸特集をやっていて、また吐いた。しかし吐けども胃液しか出てこん。せめてサバの欠片くらい出てきてくれれば多少気は楽になるはずなのだが。
血眼で今の己の現状と近しい症例をネットで探したが、アニサキスであることはどうも確定の模様だった。
近くの内科が開くのを待って、かつてない勢いで錆だらけのママチャリをかっ飛ばして向かう。例え人間、アニサキスを胃に抱えていてもペダルはガンガン踏めるのである。
僕はとにかくはよなんとかしてくれと切迫しているのだが、受付のお姉さんがマイペースで、膝から崩れ落ちそうになった。
「今日はどうされましたあ?」
「アニ、アニアニアニアニアニサキスが」
「保険証ありますかあ?」
「ほけ、ほけほけ保険証、あっ、はい、これ!」
「なんかあ、今別の患者さんが胃カメラ使ってるんですよねえ。それが終わったら使えるんでえ、ここで待つかあ、また来てもらうかあ」
「また、またまたまたってどれくらいまたですか」
「一時間くらいかなあ?」
ママチャリを大高速回転させて家に戻り、毛布を被って身体を丸めたり伸ばしたり足を開いたり閉じたり爪を噛んだり頭を掻きむしったりした。
永遠にこの一時間が持続するかと思った。これは駄目だ、俺は駄目だ、これはもう俺は駄目だ!
脂汗をかきつつ時計を凝視する一時間が過ぎ、ここから先はもう自転車を使ったかどうかさえ覚えていないほど限界だったのだが、件の内科に行き、丁度胃カメラも空いたから、ちょっくら胃壁を見つつアニーちゃんがいれば取り出しましょうかね、という話になった。
この時、人生初の胃カメラを鼻から挿入される。鼻の穴を喉の穴を硬い管が通るもんだから、目も鼻も口もよく分からん液体でグチャグチャになる。当然まともに話すこともできない。
胃カメラはこちらの醜態は関係無く食道を順調に進んでいき、胃に到達したところで空気を噴射、膨らんだ胃壁に、確かに変な紐がめり込んでいる。
「こいつだねえ」
「おいうえうあ」
「まずこいつから取っちゃおうねえ」
「ああうおうえうああい」
二匹いた。先生は管の先に付いているピンセットのようなもので器用にそいつを摘んで、そいつごと胃カメラを僕の鼻からスッポ抜くと、ホルマリンが入った瓶に入れて
「お土産にする?」
と言った。いらねえよ。
アニサキスがいなくなった胃は確かに激痛こそ無くなったが、そいつらが胃壁に突っ込んだことによる出血はあったからしばらく胃はシクシクとしていたし、何故かその後熱も出て、数日寝込んだ。
無論試験は受けられなかったのだが、担当教員に診断書を出しつつ、いかにアニサキスが僕を虐げたかを涙ながらに語ったらレポートの提出だけで良しとなった。危なかった。これで問答無用で落ちていようものなら、いよいよ己の腹を掻っ捌いて弄り出した胃を担当教員に投げつけるところだった。
大袈裟だと思うだろう。だが、小指をぶつけたくらいで断末魔を上げる男である。そんな奴の胃で暴れようとする寄生虫も相当選択肢を間違えている。もうちょい静かに耐えられる人間の胃に棲み着けばよかったのに。
とにかく痛いのだけは金輪際避けたい。痛いのは性格だけで十分。こればかりは治しようが無いから放っておくしかない。
(2025.10)

