スマドリでええねんじゃねえんだよ

スマドリでええねんじゃねえんだよ

 下戸である。
 別に一滴も飲めないわけではないが、例えばビールのグラスを空にした瞬間、顔がコカコーラの自販機くらい赤くなる、頭が割れるように痛む、急に笑い出す、事あるごとに壁を叩く、姿勢を保てなくなる、手が震える、と、おおよそ酒を飲んではいけない要素を全て併せ持っている。
 僕は専門とは言え商社マンの端くれだから、接待なんて大変でしょうとよく言われるが、心配におよばない。ビールの一杯でも飲み干した後の顛末を目の当たりにすれば、上司だろうが得意先だろうが二度と僕に酒を勧めてくることは無くなる。

「アズミ君、目が完全にキマった状態でずっと船漕いでるんだもん。しかも口角上がりっぱなしで気持ち悪いし」

 このように、一回でも自滅する覚悟さえあれば大抵の直接的なアルハラは避けられる。ああ、こいつは駄目な部類の酔い方をする、こいつに飲ませてしまうと俺が不利益を被りかねない、そう思わせてしまえばいよいよ最初からコーラを頼もうが自由である。

 飲めないからとハブられるのは癪だから、飲み会に誘われればよほどのことが無い限り参加するようにしている。
 飲み会には大抵近々の下世話な身内ネタが集約される。彼らはその場限りの無礼講だし、どうせ明日には皆忘れていると思って刹那的な暴言を吐き散らすわけだが、僕はコーラとウーロン茶しか飲んでいないから全てを覚えている。
 覚えていて何かの役に立ったことは別に無いのだが、互いをボロカスに罵り合っていた人間達が、翌日になって平然と「昨日はありがとうございました」と頭を下げ合っているのを横目で見るのは楽しいかもしれない。
 そう、アルコールで壊れていく人間を素面で眺めるのは楽しい。皆と一緒に酔えないと辛いでしょうとも結構言われるが、むしろお前らと一緒に酔ってなんかいられないのだ。距離は離れていれば離れているほどいい。近付き過ぎると実害を被る。

 例えば、酒乱で有名な隣の課の上司とたまたま帰り道が一緒になってしまった、なんてのは最低だ。
 そいつは既にトイレで二回戻しており、正常な判断ができない。そこら辺の人達から、アズミ君、方向も多分一緒だったはずだし酔ってもいないし丁度いいじゃん。面倒だけど頼んますと言われる。
 下戸最大のデメリットだと勝手に思っているが、なまじ責任を持ててしまえる為に介抱役を無理矢理充てがわれることが多い。今回も仕方無く、そいつを連れて地下鉄に乗る。

「ご自宅どちらですか」
「知らねえよ! 俺は生まれは岡山なんだよ」
「今住んでるところはどちらですか」
「生まれは岡山なんだよ」
「ひょっとして大岡山ですか」
「桃太郎命なんだよ」
「大岡山だったら逆方面ですよ」
「知らねえよ! お前、キジに似てんな」

 ドア上のモニタに流れるサントリーの広告。浜ちゃんが大変わざとらしい笑顔で「スマドリでええねん!」と叫んでいる。
 ええねん、じゃねえんだよ。なんで俺らがお前らにスマドリの許しを乞う構図になってんだよ。そこは最低でも「何卒スマドリでお願い申し上げます」だろ。
 「我々酒飲みは下戸の皆さんに常日頃からお手間をおかけしている身分でございます故、ましてや酒を強要するなんて滅相もない。我々としてもなるべく御迷惑にならないよう細心の注意を払って参りますので、よろしければ是非ともコーラや烏龍茶をお召し上がりください」だろ。

「お前、犬と猿とキジならキジがいいだろ?」
「家はどこなんですか」
「生まれは岡山なんだよ」
「僕もう神保町で乗り換えなんで、お疲れ様です」
「お前、神保町って岡山だよな?」

(2025.10)

ペンネームなんて意味が無い方がいい / アポカリプス的痛覚と踊るアニサキス